バリアフリーな住宅というのは、昨今の住宅傾向からして「当たり前」な光景になりつつあります。もちろん、オフィスやパブリックスペースにおいても、そうした設備なくして語れなくなってきていますね。

 

ところで、こうしたバリアフリーが広まる中、以前福祉関係者に聞いたことを思い出します。

 

その方はフィンランドで北欧の福祉について留学をしながら学んだこと上がると言います。

 

その方から日本のバリアフリーは時としていきすぎなところがあるそうです。北欧では福祉の考え方が箱ものなどではなく、個々人の心がけに依拠しており、足の不自由な方がいれば助けることが「当たり前」なのであり、日本のようにいたるところに目につくバリアフリーなどの設備はあまり見られないそうです。

 

これは、日本のバリアフリーが「行為」ではなく「設備」として確立されていることを指します。別にこれがダメだとは言いませんが、ハード面のみに特化するのではなく、そこに「行為」が伴わないと、実のところ本当の意味で福祉が生活に根差しているとはいいがたいのかもしれません。

 

住居の話とは少し異なりますが、バリアフリーが「当たり前」となった今だからこそ、その意味について再検討するのも重要ですね。